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契丹古伝に関するデマ
このページでは、契丹古伝に関するもので、よく見かけるデマをご紹介する。
・デマ1 (すぐこの下)
・デマ2(天字デマ)(本ページの後半部分)
○ デマ1
【契丹古伝には「殷は倭なり」と書いてある。】(注・左の【 】内はデマ。)
(類似のデマ:「殷も、これ倭国也」「殷元これ倭国」「殷は元これ倭国」「殷これ倭国」など)
契丹古伝の全文を当サイトに掲載してあるので、おわかりと思うが、『契丹古伝』に「殷は倭なり」という表現は
含まれていない。従ってこれは全くのデマである。
しかし、このデマが、多くの掲示板やブログに転載されていることも事実である。「元」の字が含まれないバージョンの方
をコピペした人の中には、「殷が倭になった」と解釈する人までいて、自由奔放の世界となっている。
そのデマの発信源はどこか、気になるところだ(下述)が、その前に、
そもそもこれが厳密な意味でデマといえるか、検討しておきたい。なぜなら「解釈次第では
デマともいえない」という反論があるかもしれないからである。
検討する対象は、契丹古伝で大きく扱われている
「東族(=東大古族)」概念(例:21章)で、
いわゆる東夷系諸族をどうとらえるかという話になる。
契丹古伝特有の「辰沄固朗」(東大古族)概念において、
殷も倭も東族の一種ではあり、
より一般的にいえば東夷系といえるのは確かだ。8章に登場する各族もみな東族・東夷に属し、
20章の各部族もそうである。8章には潘耶(扶余)や淮も登場する。
この中でも、中国大陸における本宗家的なものとして殷が扱われていることはサイト内の他のページでも述べた。
そして、その殷朝が他の部族といかなる(血統上の)近接性を有するのか、さらにその遠近感などについて
契丹古伝は詳細な記載をしていないのである。
そのような状況下で、「殷もと倭なり」と契丹古伝の著者が考えているとするのは無理である。同様に、
「殷もと扶余」とも「殷もと淮」とも契丹古伝には書かれていないのである。
したがって、完全なデマと思って頂きたい。
もちろん、東大古族の中で、殷と倭(日本)がどう関係するかというのは重要問題ではあるが、
それは「殷もと~」という架空の記載により決すべき問題ではない。
こちらの方の問題は、①既発表のページである日本本宗家論の中の
列島内における本宗家の確立論
や、②弥生時代の開始時期論における二重劣化論の否定
や、③37章・40章の解釈論(未完成)によって検討していくべき内容と関連する。
このデマの発信源を調べているほどの暇はないのだが、
未だにこの「殷もと倭なり」があちこちでコピペされ続けていることは極めて残念だ。
検索候補にまで表示されるほどなのである。
掲示板などで、東アジア関係でトンデモ歴史系の話題になった時、時折このキャッチフレーズが
投下されることがある。契丹古伝が話題にされるのはわかるのだが、デマは困る。
契丹古伝の本文は当サイトにもあるし、浜名の原著が国会図書館のデジタルコレクションで閲覧可能
である今、調べもせずにデマを転載するのは愚かしいことといえる。
たしかに面白おかしいトンデモ本などを見て掲示板やブログに書けば、それで楽しいのかも
しれないが、真面目に契丹古伝に興味をもつ人に誤解を与えることになるので、迷惑な話である。
実は契丹古伝の一番の面白さは、表面的な記載の裏に隠れた何かにある。
「隠れた思想」とでもいえば、初めて興味を持つ方もいるのだろうか?
もちろん、それは誇張しすぎかもしれないし、あるいは間違っているかもしれない。
だから自分も、絶対こうだというトンデモな言い方はあまりしない。
注・契丹古伝に興味を持って頂きたいため
このようないい方になったが、別に隠し財宝の類や霊能力開発の話ではないので注意されたい。特に
日本語が苦手な人の一部に誤解があるような状況があるとも思われるので付記しておく。
そもそも、世の中には、はっきり述べた時に語弊があるような、繊細な事柄というのも存在する。
そのようなものへのおそれがあれば、あまりはっきりとはいえないということもある。
たとえば禁足地のようなタブーは一般的に日本でよく見られることであるし、もっと強いタブーの類も日本の怪奇推理小説にも素材として
登場することが多い。
民俗学でも説かれるように、このようなタブーは一定のコンセプトをベースにしており、そのコンセプトには
種々の宗教概念が反映されていることが多い。
ただ、宗教概念の反映といっても、良識ある日本人ならばお分かりのように、神社の慣習・しきたりのように
どこか素朴な味も併有したものであり、神聖にして簡素でもあるといった形の、さっぱりしたものである。もちろん含蓄も備わっている。
日本の歴史も神代から続くものと日本書紀・古事記ではされており、上古には神々の時代があるが、決してそれは
おどろおどろしいものではない。また、あくまでも歴史の叙述に力点が置かれているのは当然である。
契丹古伝も、第1章に「日神体」第3章「神祖」等のように「神」の語があるが、同様に決しておどろおどろしい
ものとは思えない。ただし天照大神の五男神論でも見たように何らかのきちんとしたコンセプトにのっとっているようにも
思われる。ただし何らかのコンセプトが背景にあるとしても、決して超能力開発とか財運開発のようなものではない。
このサイトの論考で自分にとって特に大切にしているものは何かというと、実は神話論なのである。
多くの読者には、どうでもいいことなのかもしれない。というのも、それは神話学者の論議と重なる面を有し、
宗教の修行目的のものとはズレのあるものなので、オカルト的面白さは相当縮減されるかもしれないからである。
しかし、上で書いた隠れた宝(おおげさにいえばそんな表現となるが、
あくまでも、神道類似コンセプトの把握といったもので、契丹古伝の歴史叙述の背景に微かに存在する
宗教的概念を把握しておくことにより、その把握を前提として契丹古伝の叙述する東族の歴史を味わい深く読むのに役立てる
といった意味に過ぎない。もちろん霊能開発とか財宝獲得法の類ではない。
)に近づくするためには、どうしても
必要なこととなってくる。その先に、ある意味、真の面白さが見えてくるのである。
このサイトの閲覧者の中には、契丹古伝に書かれた歴史と日本の古代史との関係を知りたい方
も多いとは思う。おそらく、それらの方も、高橋良典氏風の考えでよいという方とそうでない方の
ふたつに分かれるとは思う。いずれにせよ、現在のところ、自分は具体的なことをあまり書いていない。
ただ、今後その方面のことに触れるとしても、やはり神話論の内容が前提となるのである。
少し脱線が過ぎて申し訳ないが、契丹古伝の表面だけをみてコピペするような態度では、せっかくの
価値をどぶに捨てるようなものではないかと思う。
改めてデマの内容に戻ろう。おそらく、そもそもの言いだしっぺの人は、東夷を全部倭人とみるような
解釈に立ち、その上でさらに何か一つの解釈を加えて、その内容を契丹古伝に書いてあると紹介してしまったのではないか。
したがってそれを契丹古伝の本文の一部として拡散するのは誤りとなる。
それは、上で記したような①②③の観点からする解釈論に絡む論点に過ぎないから、転載は奇矯なふるまいとなる。
そして、転載者はそのような解釈論に興味をもたないのではないかと思われる。
というのは、「殷もと倭なり」をコピペした人は、
倭をふつうの倭人(日本人)の意味でコピペして喜んでいるだけだから、
もし「言いだしっぺの人の倭は通常と違う意味の倭ではないか」と
指摘しても「そんな話はどうでもいい」と思うだけだろうからだ。*注1
できればこのサイトにこられた方は、「面白ければ何でもいい、どうせトンデモだから」ではなく、
「真の面白さ」を追求する方であっていただければと願っている。
特に今後、もし更新の継続が可能となった場合、本当に重要なことのいくつかは、曖昧な言い方になったり、遠回しの表現になったり、
どういう重要性があるかの解説を浅目にしたりと、一見面白くなさそうな外観にしていくことが予想されるので、注意して頂きたい。
あるいは、それなりに明白だが、「寸止め」になっているために、気付かない人は気付かないというものもありうる。
考えてみれば、太公望篇も例えば「あの太公望の強敵●●は実在していた!!*注2」とかいうタイトルにすれば、
もっとアクセスも増えたのかもしれない(?)。しかし、それをしないことにも意義はあるのである。
(といいつつ考えてみれば云々などと書いている自分も自分だが、今後はそのようなことはしないと思う。)
補注1 デマ1の正確な出所は未だ特定に至っていないが、古い例としては
岩田明『十六菊花紋の謎』(潮文社、1990年、新装版2003年。日本シュメール同祖説系統の本である)に
遼に伝わる契丹古伝によると、「殷も、これ倭国也」という一文がある。
との記載があり(同書p.219)、同書p.220においては、倭国に騎馬民族の部族があり、再び南朝鮮経由で大陸をうかがった
という氏の論が展開されている。もちろんそのような「一文」は存在しない。記紀の南鮮侵攻記述の背景にはそのような事情があるのだという。
○デマ2
【契丹古伝には、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前を卜字といい、卜字とは殷字」と書いてある。】(注・左の【 】内はデマ。)
これも全くのデマである。契丹古伝には天字などの文字のことは全く触れられていない。
このデマは上のデマ1と一緒に転載されている場合が多い。
なぜこのようなコピペが広まっているのだろうか。
その一番元の発信源が何かを突き止めるほどの余裕はないわけであるが、
おそらく次のような事情によるものと思われる。
おそらく、昔、とある本に、デマ①が契丹古伝に書いてあるものとして掲載または転載された際に、
その次に、この②の内容が続けて書かれたのではないかと思う。
そして、よく読めば、②は契丹古伝とはまた別の話であることが、わかったはずなのだが、
あまり明確でない、舌足らずな文章であったために、その本を読んだ人が、そちらも
契丹古伝に関する記載と勘違いして、その勘違いした人がその人自身の著書に①②とも契丹古伝の
内容として転載してしまったのだろう。そしてそれが拡散された。一応そのように推理している。
以上
*注1 「殷もと倭なり」をコピペした人は、倭をふつうの倭人(日本人)の意味でコピペして
いるという点について、「いいだしっぺの人」もそのような意味で考えていた可能性がゼロかというと、
ゼロとまではいえない。仮に両者の意図を極力一致させる方向で、「いいだしっぺの人」の人の意図を
推理するとすれば、まずその人は高橋良典氏風の理解にたった上で、さらに「すべて倭人の子孫である」
という解釈をしている人ということになる。
浜名氏も当然そこまでは述べてはいない。
ただ、日本を本宗家という解釈には浜名氏は立っているので、倭の字を使用して浜名氏がさまざまな
論述をする中で、かすかにそれっぽい雰囲気の表現というのは、探せばなくもないという程度である。
「いいだしっぺの人」と「コピペした人」の意図が一番近いのはこの場合かもしれない。
ただ、この場合であっても、コピペした人の意図とはズレているような気もするが・・・。
いずれにしても、契丹古伝に書いてあるものでもないし、本宗家論についての当サイトの立場
(太公望篇の中で書いた)からは、ますます的外れなものといえるだろう。(この場合でも、もちろん本当に真面目な人向けには、委の定義とか、そういう定義論の記述が必要な
ことになるが、この際省略させて頂きたい。)
*注2 あくまでも仮の題なので、この点の追求については御容赦願いたい。
2021.11.12
2022.01.02加筆
2025.02.27加筆
(c)東族古伝研究会