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契丹古伝(東族古伝)本文 (全文)と解説(トップページ)

契丹古伝(東族古伝)本文 (全文)と解説(本文解説ページ)

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天照大神 | あまてらすおおみかみ五男神 | ごだんしん」と 「契丹古伝11~15章『汗美須銍 | かみすじ』各章の 神子 | しんし」との関係について (暫定版)
 (契丹古伝11~15章に関する新解釈)


(おことわり)

契丹古伝11~15章で引用されている『汗美須銍 | かみすじ』については、一定の「作為 | さくい」の跡がみられる ことを、当サイトにおいて、本文5章の注、その他のページで以前から指摘してきたものの、 その詳細については長い間放置してきた。
放置してきたことにはそれなりの事情があり、勘のいい方はやがて自然に「今にして思えば」のような感じで 察していただけるようになるのではないかと予想している。

ところで最近当方で作成したページの中には政治的内容に触れたものもあり、ある意味騒がしい面があった。
今回のページについては、本来、しばらくそのような雑事から遠ざかった上で 臨みたい内容ではあるため、さらに作成を先延ばしにしようかとも思っていた所である。
ただし、このサイトがいつまで継続できるか不透明な中、今回のページは出しておくべきもの の一つではあるため、<暫定版として>作成することにした。
今まで種々の論考を作成してきたが、契丹古伝の性格上、誤解を招きやすい要素が非常に多いと いう難点がある。それゆえ読者の方々も様々な読み方をされてきたことと思うが、 最近作成したページを読まれて、疑問が解消した方、あるいは別な疑問を生じた方などおられると思う。
当サイトとしては、当方で発表する内容を丹念に読んで頂ければ時間が解決するのではと考えている。
その意味で、既存発表の論考についての皆さまの感想がまちまちであったとしても、ページを作成し続ける ことで将来的に当サイトの真意を納得していただける方向に近づくと考えている。

このページも、そのことに貢献できるのであれば、筆者としても喜びとするところである。

※本稿は暫定版であること、及び、その他の事情により、やや曖昧で、分かりにくい点があると思われるが 何卒了解されたい。


(要旨)
神祖による各所への「京」と「神子」の配置は、神話学的には
「始祖神の複数の分身が有機的に一体となって国を構成する」ありさまと捉え得る。

契丹古伝11~15章には6つの京が登場するが、11章の「アシタ」は本来17章のアシアのようなもので、
残りの5京全体の総称であったと考え得る。

17章でも、五原に五人の神子を割り振っている。この発想であるが、渤海の5京にも通じ、 神子神孫文化の一種であると思われる。

このことから、12章の仲京は、本来「中京」で、 首都的位置付けであったと考え得る。
すると残りの4京は仲京(中京)を取り囲む4つの地点におかれたと考えることができる。

もともと神の分身としては、三柱・四柱などさまざまなヴァリエーションがある。 が、四柱に加えてその総括神を考えると五柱にもなりうる。

四柱を基本形として考察した場合、それらの四柱は神の(機能的)分身[補注1]という性格を持つ。
すると、四柱の中には、たとえば日祖的機能分身もあれば、その他の機能を持つ分身もあるという ことになる。


15章の巫軻牟 | ふかむの京にも本来キリコエアケと別の神子が割り振られていたはずだが、 その神子と統括者としての「日孫=神孫」とが重複気味 | ●●になるのを回避するため、その神子 の分の京もキリコエアケの兼任とするような「京のかけもち」処理が行われたと推定できる。
※あくまで15章の本来の神子は「神の(機能的)分身」の一つで日孫と完全同一ではない ので、両者が同時に登場しても完全な重複にはならないのだが、実質的には重複の雰囲気が生ずるのでそれを 回避するという意味である。

日本神話では、天照大神とスサノオ尊との誓約「うけい」によって五男三女神が生じたとされている。
五男神のうちアメノホヒ尊を除く四男神は『契丹古伝』13章の神子・14章の神子・ 15章の(本来2人の)神子 の計4神子に対応し、名称の類似性が見られる。このことは今まで知られていなかった。

天照大神とスサノオ尊の誓約は本サイトでいう「態勢立て直し」の後しばらくして起きた特殊事態に対応して取られた さらなる「態勢御一新」に関わるものと思われる(神話論その5参照)。
しかし、その箇所に、時代を遡った太古の話であるところの、東大古族の始祖神・日祖に関連した神話の投影が含まれていても何の不思議もない。
これら五男神は本来神の御分身であり、契丹古伝の神子と共通の基盤の上に立つものである。
このことからも、日本書紀の神々が、東大古族の伝承の核心を受け継ぐ神聖なものであることが うかがえよう。


(本文)

本稿は暫定稿なので、上の要旨と大して変わらないないようになるかもしれない点 ご容赦賜りたい。


契丹古伝11~15章には6つの京とその統治者が記されている。
具体的に列挙すると次のようになる。

 京の所在地 京の名統治担当者
 
11章 | | | | | | 神京 | しんきょう | | | | | | | |
(神祖の都)
 
12章 | | | | | | 仲京 | ちゅうきょう 耑礫濆兮阿解 |  
13章 | | | | | | | 海京 | かいきょう | | | | | |
14章 | | | | | | | 齊京 | さいきょう | | | | | |
15章前半 | | | | | | | (秦率母理 | すさもり之京) | | | | | |
15章後半 | | | | | | 離京 | りきょう | | | | | |


ここでは京の数が6つで、統治担当者は耆麟馭叡阿解が二つの京を兼任するため5人となっている。これは西征前の京の話である。

一方17章では、神祖が西征完了後、五原の統治担当者を割り当てる様子が記されている。
列挙すれば次の通りである。


治所地域名統治担当者
 
| | | に土地を | ひらいた者:神祖 |  
 
馬姑岣 | まこく西原 | せいげん伯屹紳濃和気 | はきしのわけ
羊姑岣 | やこく東原 | とうげん泱汰辰戞和気 | わたしかわけ
伊楽淇 | いらき中原 | ちゅうげん納兢禺俊戸栂 | なきくしこめ
柵房熹 | さはき北原 | ほくげん湮噉太墜和気 | いかたちわけ
柟崤藐 | なかは南原 | なんげん沄冉瀰墜和気 | うなみちわけ


17章の場合、京の名は示されていない。馬姑岣 | まこく羊姑岣 | やこくなども一定の広がりをもつエリアである 可能性もあるが、京がそのどこかに置かれたことは確かだろう。
とすると、17章の場合も、5つの京が置かれ、東西南北中の各京を成していたことになる。
そしてその総体が「幹浸遏 | あしあ」と呼ばれていたのではないかとも思えるのである。

(17章の固有名詞については、中国の古典『書経』に類似した名前があると浜名氏によって指摘されている。
例えば馬姑岣は『書経』の「昧谷」と似ている、などである。
しかし、これも、神話論ですでに(若干)言及したように、本来東大古族の神伝であると考えられる。
それゆえそれが西族のものではないかなどと心配する必要はない。)


この五つの京というのは、東大古族の文化の一つではないかと思われ、 そのため『汗美須銍 | かみすじ』の11~15章の京にも「五京」的考えが隠れている可能性がある。

ちなみに渤海は五京を置いていた(渤海については東大神族の本宗家の権利は日本が所有参照)。 その京の名を参考までに以下に掲げる。

上京 龍泉府
東京 龍源府
中京 顕徳府
西京 鴨緑府
南京 南海府

もともとは五京ではなく、渤海の建国当初は旧国と呼ばれる場所(今の敦化 | とんか)に首都がありその一帯に「忽汗 | こっかん州」が置かれていた。
しかし742年に3代目の王(大欽茂)が中京を拓いて首都を移転した。
この首都についてはその後移転が発生する。これは その後の唐の動乱を避けるため(あるいは靺鞨を統御するため)であり、 中京→上京→東京→上京と移転した。 したがって渤海が滅びるまでの長い期間にわたって上京を首都としていたことになる。
この上京は忽汗 | こっかん城と呼ばれていた。

いずれにせよ渤海の五京制は有名であり、部族を五部に分ける扶余等の習慣に影響されたともいわれる。 そのように北方系の特殊な文化のように見えなくもないが、契丹古伝にも五京的発想があるので、 東大古族の文化の一つではあると考えられよう。
(日本神話においても、天孫降臨の段に登場する五伴緒 | いつとものおは、部族連合を五つと捉える発想と 関連すると指摘されることがある。)

ところで17章でいえば中原の伊楽淇 | いらきを中心とする5地域という発想が明快だが、 11~15章の方は京が6つもある。しかしこれも五京的に捉えられないか。以下で考察する。

上で述べたように、17章においては5地域の総体が「幹浸遏 | あしあ」と呼ばれたと捉えうる。
とすると、11~15章の方も、12~15章の5つの京の管轄域全体が「鞅綏韃 | あした」 であるとも捉えられる。
鞅綏韃は神祖の都であるとされているのだが、思うにこれは中央政府の都といった 扱いで、場所的には12~15章の5つの京の管轄域のどれかに含まれると考えるのが自然だろう。
いま「どれか」と書いたが、おそらくそれは12章の 戞牟駕 | かむか という場所におかれた高虚耶 | かこや仲京 | ちゅうきょう)の ことではないかと思われる。

この「仲京」であるが、浜名氏は大中小の「中」と「仲」とを区別し、中京の意味で仲の字を使用した例がないとして仲を「 | なか | ぎ」の意味とする(溯源p.384, 詳解p.98参照)
しかしこれはむしろ逆に本来「『中』京」だったのではないかと自説では考えている。
高虚耶の耶は「みやこ」を表すので高虚 | かこが仲もしくは中を意味するはずだが、 このカコは和語「こころ(心)」と通じることばで、「核心的部分、中心」の意味があるのではないか とも思っている(この点はまた改めて検討できればと思う)
このカコはどこか渤海の忽汗城の忽汗 | こっかんにも似ているようにも思え、首都に相応しい場所のように 思われる。(忽汗を浜名はモカと読む(溯源p.338, 詳解p.52)がこの説はとらない。渤海の当時において忽 の字をマ行で読むのには無理がある。)

おそらく、本来、12~15章で5京を構成し12章の中京が首都という発想であったものが、 ある時点で別途、11章の神京を首都として設定したために、12章の中京を仲京と書き換えたのではないかと 思われる。

こう考えたとき、12章の統治担当者は17章でいう納兢禺俊戸栂 | なきくしこめの様な立ち位置にあり、 残りの4京(13章~15章)を四方に配したその中心に位置することになる。

○各京の神子は神の分身というべき特殊な神子号を持ち、それは一種の佳名である

ところで、契丹古伝11~15章『汗美須銍』の各京の統治担当者は神子が割り振られており、具体的な名と場所が記されている。
契丹古伝を信頼する人間としては、これを現実に存在したはずの統治担当者名であり場所であろうと 誰もが考えるだろう。
浜名氏も例えば13章の曷旦鸛済扈枚 | あたかしこめを記紀のアタカシツ | ヒメに連関させて考え、その所在を鹿児島に比定したりしている。

しかし、これらの神子号群には神話学的観点を加味して考える必要がある。
そもそも、多くの神話で、始祖神・創造神的な神は三分身(場合によっては四分身)を持つことが多い。
場合によっては70を超える分身をもつ場合もあるが、これらは神が変化した姿とか、分身、もしくは 神の機能や種々の側面のあらわれたものであるとされることが多い(神の守護神として 設定されているケースもある)。

ちなみに契丹古伝第20章の『神統志』に、阿祺毗 | あきひ暘霊毗 | やらひ寧祺毗 | にきひ太祺毗 | たきひ という謎の概念がある。
浜名氏はこれを「神の霊」と関連させながらも「4元説」ではないとしている(溯源p.471, 詳解p.185参照)。
それは日本神道の魂の分類が2元説的だからというのが理由なのだが、 神道にもさまざまな概念が伝わっており、4分的概念がないわけではないと思う。
だがその点はさておき、 そもそも、8章ではこの阿祺毗が | | | | | | と呼ばれていることからすると、少なくともこれは日孫である順瑳檀彌固 | すさなみこ辰云珥素佐煩奈 | しうにすさぼな(日孫出生の地)と関係する何かであろう。
そして、同章では、意味を~から採った種族名は~~、意味を・・から採った種族名は・・・、のように4回列挙している ことからすると、4つの概念を並列的に扱っているように見えることに注意すへきだろう。
浜名氏は「多くの族が広」い範囲に広がっていたので、「族称を神の霊に取る時、詞の上に異同を生じる のは免れがたい」とし(溯源p.471,詳解p.185)て 太祺毗以外の3つをともに「義は一つ」として 「 | にぎ | みたま」的意味と解している。
もちろんそうしたい気持ちは分かるが、この章の文言上、4つには別々の義があると読むべきであろう。 「部族によるヴァリエーションのせいで数が水増しされて2つから4つになった」と読むのはおかしいと思われる。
これらも、神の分身と関連する概念の可能性もあろう。

先に、神の分身は守護神的に現れることもあると書いたところであるが、方位神などもその一種であると考えられる。
とすると、東西南北を守る存在というのは、神話的にいえば、あるいは一種の桃源郷的観念的世界の話 としていえば、そのような「神の分身」であるということになる。

こう考えてきた時、契丹古伝のカミスジの各京の統治担当者たる神子の名というのも、そのような 「神」の「(機能的)分身」としての「聖名」であり、それは、東大古族の神伝として それなりに固定性のあるものではないかというふうに考えられるのである。

5京についていえば、もともとは東西南北(的)4つの概念があり、それぞれを担当する御分身の名が 存在したが、後で4つを統括する統括者をも御分身の方々の長として設定する必要があるとの概念が 生じたことにより、5京5神子の考えが生じたように思われる。

汗美須銍 | かみすじの各章における各所への「京」と「神子」の配置は、神話学的には
「始祖神の複数の分身が有機的に一体となって国を構成する」ありさまと捉え得るといえよう。

ところで、日本神話で天照大神とスサノオ尊とのウケイ(誓約)により5男3女神が生じたが、 5男3女神の本質も「神の御分身」ではないかと思われる。
自説ではこのウケイは「仕切り直し」契丹古伝の始祖神話と日本神話 その5 参照)より さらに後に行われたと考えるが、そこに人格神としての天照大神とさらなる上古の神である日祖が 重ね写しになっていることは考えられる。
そうすると、そこに御分身の概念が登場してもおかしくない。

実際、この五男神は長男のアメノオシホミミの尊が皇室の系譜へとつながるという点で重要なもの であることは確かであると共に、 次男のホヒの尊が出雲国造家へ繋げられたりはするものの、残りの神子についてはややその 存在がはっきりしないような イメージがある(アマツヒコネ尊については一部の系図で使用されている点、補注2参照)

これは、観念的な神の分身としての神子と現実の人物を一部オーバーラップさせたことによるもの と考えられる。

そこでこの五男神の名をここに掲げさせて頂くことにする。

天照大神 | あまてらすおおみかみ素盞嗚尊 | すさのおのみこととの 誓約 | うけいにより、 天照大神の所持品(物根 | ものざね)から生まれた 五男神
   天忍穂耳 |  (アメノ オシホミミの | みこと) 
   天穂日尊(アメノ ホヒの尊) 
   天津彦根尊(アマツ ヒコネの尊) 
   活津彦根尊(イクツ ヒコネの尊) 
   熊野楠日尊(クマノ クスビの尊) 









結論を先にいえば、この五男神の中に、「神の四分身」の名が含まれていると考えるのである。
男神の数は5なのにおかしいではないか、と思う方もおられようが、 それについては、統括者の位置付けであるとか、別名の扱いとか様々なことが影響しうるという事情のもとでは そのようなことが起こってもおかしくない (この点については応用的な話になり理解困難度も高そうなので、稿を改めたい)
という説明を一応の説明として述べておきたい。

(注 天照大神とスサノオの尊とが姉弟神と日本神話においてはなっている点については、本サイトの神話論参照)

本稿では、複雑な話を避け、アメノホヒの尊を除く4男神と契丹古伝12~15章との神子との関連に ついて指摘しておきたい。
これは当方の新解釈ではあるが、次のような関連を十分想定しうると考えられる。


アメノオシホミミの尊 曷旦鸛済扈枚 | アタカシコメ
節覇耶 | しほや の統治担当神子)
 
アマツヒコネの尊尉颯潑美扈枚 | ウサハミコメ
濆洌耶 | ひれや の統治担当神子)
 
イクツヒコネの尊
芝辣漫耶 | しらまやの統治担当神子)
 
クマノクスビの尊耆麟馭叡阿解 | キリコエアケ
叙図耶 | そとや の統治担当神子)
 


耆麟馭叡阿解 | キリコエアケは、契丹古伝上 芝辣漫耶 | しらまや叙図耶 | そとやの2京を担当していることになっているが、 本稿で述べた分身の観点からいえば、本来別々の神子が担当しているべきであって、 ある理由により作為が加えられ耆麟馭叡阿解の兼任とされたと考える。
すなわち、当方の神話学的分析からすると、15章の巫軻牟 | ふかむの京にも本来キリコエアケと別の神子が 割り振られていたはずだが、その神子と統括者としての「日孫=神孫」とが重複気味になるのを 回避するため、その神子 の分の京もキリコエアケの兼任とするような「京のかけもち」処理が行われたと推定できる。
そのため15章の本来の神子を削除する編集がほどこされたものと解するのである。
※あくまで15章の本来の神子は「神の(機能的)分身」の一つで日孫と完全同一ではない ので、両者が同時に登場しても完全な重複にはならないのだが、実質的には重複の雰囲気が生ずるのでそれを 回避するという意味である。

※本稿は上記のように、契丹古伝に引用された「汗美須銍 | かみすじ」の神子群による分担について、より古い有り方 をも考察する部分を含んでいる。そのためその限度で、ある意味、原文一部無視的要素がわずかに 生ずるが、本稿のそのような性質・特性上からくるものなので御諒解いただきたい。




○四男神と四神子の対応の詳細

アメノオシホミミ尊については、
       
     カシコメ
    オシホ耳




のように対応すると考えられる。

耳の部分であるが、但馬 | たじま の人とされる前津耳を前津見ともいう(『日本書紀』垂仁天皇条参照)ように、 耳はミの形をとりうる。(そもそも耳のことを古くはミミでなくミと呼んだという言語学上の説もある。)
また、五男神の末の兄弟である「クマノクスビ尊」の「クスビ」 は別形として「オシホミ」「オシクマ」という形を採り得る
(前者は日本書紀神代上の第一の一書と第三の一書、後者は同じく第三の一書の「またの名」)。 この「オシホミ」も「オシホ耳」と同趣旨の表現ではなかろうか。
こう考えた時に、「オシホ耳」≒「オシホミ」≒「オシクマ」という関係が成り立つとすれば、 「アメノオシクマ尊」という形さえありえなくはないということになる。
これらを考慮した時に、アメノオシホミミとアタカシコメの神名は類似しているといえよう。

またアマツヒコネ尊については
     
    ミコメ
   アマ    ヒコネ



のように対応すると考える。
(ツという部分は、普通は「~の」を意味する助詞と考えられているから、一見無理な対応にも思える。
しかし、ツ(津)という字も津速魂命のように助詞以外で使われることもある。 アマツ(天津)というといかにも「天の」の意味にしかならなさそうではあるが、アマツヒコという形の場合は
例外的に何か特別とも思われる節があるので、詳細は省くが対応関係はありうると考える。
(なお契丹古伝には16章で云辰阿餼という神子も登場している。)

またクマノクスビ尊については
     
   リ  エ 
   ノ   



の対応が考えられる。
(スの音が対応しないように思えるが、アメノオシホミミ尊の場合は「天大耳尊」という異形 (日本書紀第七の一書)もあり、これを「アメノオホミミ尊」と読む説がある。これはサ行音「シ」が含まれない形である。
また別の説で、「天大耳尊」を「天火耳尊」とし、「アメノホミミ尊」と読む考え (井上光貞監訳・川副武胤・佐伯有清訳『日本書紀(上)』中央公論新社 2020年 p.202の注26) もある。
これらを考慮すると、異形含みでの対応関係は考え得る。)

なお「イクツヒコネ尊」に対応する神子が「?」となっているが、 契丹古伝の「汗美須銍 | かみすじ」のさらなる原形の伝説においては、「イクツヒコネ尊」と似た名前の 神子がその位置(15章前半)に来ていたと考えられる。これについては契丹古伝の中に何らかの痕跡が なお残されていないか検討する価値があるかもしれない。


浜名氏は13章の曷旦鸛済扈枚をアタカシツヒメ(アタツヒメともいい、大山祇神 | おおやまずみのかみの娘で、彦火 | ひこほの瓊瓊杵 | ににぎの | みこと の后) にあてて、薩摩の吾田 | あた(今の鹿児島県阿多郡周辺)と関連づけ、 「本{13}章は薩摩の西南角をいふていると解され」(溯源p.394,詳解p.106) と述べているが無理であろう。

曷旦鸛済扈枚はアメノオシクマ尊・アメノオシホミミ尊のような神子を表すと見たほうがより自然である。

汗美須銍の各神子や京は、そういう意味で、やや概念的な話であり、そのような神都が 築かれたことで輝かしいスタートがきられたといった話であって、具体的な場所がどこまで想定されている かは不透明というべきであろう。

※鹿島曻は「汗美須銍」の各章を「後漢時代の事件」とし、

11章 アシタに都した神祖はスサナミコでなく高句麗の太祖王(在位AD53-146?)。アシタの都は安市(今の遼寧省海城市内)。 
12章 シラヒキアケは高句麗の新大王(在位AD165-179?)、カムカの京は新羅。
13章 アタカシコメはナンタカシヒメ=[魏志倭人伝の]難升米(多羅の王女とする)。 カクタラの京は熊本の多婆那国。
14章 イサハミコメは卑弥呼、ムコハキの京は日向と熊本。
15章 キリコエアケは沖縄の聞得大君であり、高句麗の新大王の命令を受けて統治。 フカムの京は沖縄。ネクタの京は沖縄の久高島。

(鹿島曻『北倭記』新国民社 1986年、p.159~p.175参照)

とし、高句麗の太祖王や新大王が卑弥呼や沖縄の祭祀者を含む統治担当者達に命令しているという 説を採っている。
しかしこれは、契丹古伝の記述の仕方に全くそぐわない解釈である。
11章の神祖がなぜ高句麗の太祖王になるのだろうか?
あくまでも、浜名氏の分類でいう神話時代の話とすべきである。
また、イサハミコメは決して卑弥呼ではない。

鹿島氏は氏のように解釈する根拠の一つとして(前掲書p.160)
「このように朝鮮から沖縄まで支配するような連合国家は周末までは成立しえず、・・・」 などとし、それ以前のものではありえないとするが、 もともとそのような現実の広域と解する必要はなかったのであり、あくまでも神話的な話で、しかし神聖なモチーフ を用いたものと解すれば十分理解可能なのである。

東大古族の始祖神である日祖関連神話は、当然時期的には遠い昔、上古の話となり、 汗美須銍の話も同じく上古と読むべきである。
そして、日本書紀や古事記に見られる天照大神とスサノオ尊の誓約は上でも触れたが、 本サイトでいう「態勢立て直し」の後しばらくして起きた特殊事態に即応しての さらなる「態勢御一新」に関わるものと思われる(従って時代的にはやや後の話となる)
しかし、そこに東大古族の始祖神である日祖関連神話の投影が含まれていても何の不思議もない。
これら五男神は本来神の御分身であり、契丹古伝の神子と共通の基盤の上に立つものである ことが音の類似性からもうかがえる。
このことからも、日本書紀の神々が、東大古族の伝承の核心を受け継ぐ神聖なものであることが うかがえよう。

日本書紀の五男神の名から契丹古伝の神子を偽作したという疑いを主張する人が現れるかも しれないが、両者の対応関係に、一見意外とも思える微妙な音の対応があり、そのことからすれば 偽作説は不自然である。また、契丹古伝の固有名詞群も、どこまで古く遡ったものなのかは不明であり、 より古い形の存在も想定できなくはない。いずれにせよ、時代の経過により神名が若干移り変わり、 それぞれの伝承に記録されることは通常ありうることである。
とにかく、東大古族の伝承の核心に近いものが日本の神話に存し、半島の神話にはみられない 点は大いに注目すべきであろう。

※なお12章の耑礫濆兮阿解についてはさらに応用力を要するため本稿では省略させて頂くことを諒解していただきたい。

以 上


補注1 本稿では便宜的に機能的分身の語を使用したが、 神話学に造詣のある方はデュメジルの三機能仮説を連想されたかもしれない。 デュメジル説においても、三機能が別々の神に割り振られる場合もあれば、三機能が一神に包括 される場合も想定されるため、どこか今回の話と似ているとの印象をお持ちになるかもしれない。 しかし、本稿でいう機能はデュメジルの三機能とは内訳が異なるので、デュメジル説を御存じの方は 混同・混乱されないようにお願いする。

補注2 アマツヒコネ尊を祖とする氏族の系譜について 
これらの氏族でいうアマツヒコネ尊は、もしかすると「うけい」の時の人格神としての天照大神の御子ではないかもしれない。
アマツヒコネ尊も佳名であるためよく似た「聖名」をもつ別の人格神は存在しうる。
その人格神を始祖とする支族の系図を接合させた可能性もあるのではないか。



補注3 四神子は機能的分身という前提からすると、キリコエワケは単なる抽象的存在に過ぎない のかという疑問が出るかもしれない。キリコエワケは、別ページで王権の祖としての性格をもつ可能性を 指摘しているので、それと矛盾するのではという観点である。
これに関しては、 分身の名称にしても、本来的な神のパンテオンの構成神自体の名称と相通じるものがあると思われ、 相互に通用して用いられることもあるというように考えておけば済むことであり、簡単に割りきって 考えるのは不適切であるという指摘に留めておきたい。そもそもカミスジとは神筋で神の系統譜を意味するのだから、 純粋に抽象的なものとして扱われてはいないともいえる。
これは天照大神の五男神も同様であり、アメノオシホミミ尊も当然、態勢御一新の時の人格神としての面を併有している。


補注4 関連文献のページでも述べたように、スサナミコの降臨地として契丹古伝5章の医巫閭山説を採らず 汗美須銍の15章の「巫軻牟」を採用しかつその場所を白頭山とするのが浜名説である。
この前提に立った上で、かつ、15章の「巫軻牟」も「然矩丹」もキリコエアケの管轄であると解したときに、 「満州・朝鮮を守護する白頭山の山神キリコエ」という原田実氏の表現が出てくることになる。
これに対しては関連文献のページでも疑問を呈しておいたが、本稿によってさらにそれを分かりやすく 示すことができたと考えている。(もちろん、原文を原文の通りに読む限り、原田氏の主張の一部分は 解釈の一つとしてはなりたちうるものではあろうが、当サイトの考えにはそぐわない。)


2023.2.14 初稿
2023.2.20 微調整
2023.5.19 微調整
(c)東族古伝研究会