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契丹古伝の始祖神話と日本神話 その5
○日本神話との差異が生じた経緯
前稿では母子神信仰に絡めて説明をおこなったが、
より巨視的にみれば、創造神とその子の類型といった問題で捉えることもできる。
ただこれはより難解かつ繊細な問題であるので、機会を改めて論じることにしよう。
前稿で論じたことに戻ろう。前稿までの話からすれば、日本にも母子神信仰的なものがあり、
しかも王権神話としても契丹古伝の始祖神話的なものがあってもおかしくないところである。
それがどうして現在のような神話になったかということが問題になるだろう。
この問題については、今回はあまりに具体的な自説の説明は
省き、大雑把に説明させていただくことを御許し頂きたい。
この点については、「日祖・日孫に相当する存在を始祖とし、契丹古伝の始祖神話的なものを持つ
王朝」が、ある事情で、やや毛色の異なる別の政治勢力(少し異なる始祖神話を持つものの、
広い意味ではグループ内といえる勢力)と提携し、仕切り直しをしたことがあったと考える。
そして、その際に、それ以前の王権の歴史をあいまいにぼかし、仕切り直しの時から国生みをする
という形で神話を再構成した。その後天孫降臨的な事態も生じたので、それを日の女神と皇孫という
形で記述したものと推理できる。
(あまり軽々しくこのようなことを書くべきではないとも思うが、
契丹古伝と日本神話の矛盾めいた部分の説明として一つの考えとして書かせていただいた。)
要するに、契丹古伝の始祖神にあたる日祖的始祖神、その子である日孫(①)のずっと後の
子孫の時点で仕切り直しがおこなわれ、その人物を起点とする王権神話が作られた。
日本神話の読者が眼にしている天照大神・スサノオ尊(②)は、実は、
仕切り直しの時より後で、かつ人格神の性格の濃い御方であり、
契丹古伝の始祖神にあたる日祖的始祖神①は、
(それを天照大神と呼ぶにせよ、)②の人格神としての天照大神よりもはるか前の方にあたる、
と自説では解するのである。スサナミコ①についてもまた同様でスサノオ尊②よりはるか前となる。
①の日祖と日孫スサナミコは母子神であるが、②の天照大神はスサノオの尊と姉弟神とされたという
ことになり、後者には当時姉弟神神話をもつ勢力が重きを占めていたことや当時の政治状況が
反映されていると考えられる。しかしニニギの命の天孫降臨というストーリーの中に母子神概念も
別途反映された形であると考えられる(その意味でニニギの命にも日孫の神格が投影された部分が
あることになる)。
浜名寛祐氏は、そのような考えをとらず、単純に、
日本神話の②(イザナギ・イザナミの尊及びその子天照大神・スサノオ尊)を
中国の伝説時代(三皇五帝)のさらに前の超古代に置くので、
基本的に①=②でいずれも超古代ということになる。
したがってスサノオ尊はスサナミコと同一人で
皇紀紀元前三千五百二十余年前に出生したという解釈になり、日本から全てが始まったという
ストーリーに繋がっていくわけである。
自説では、そのような超古代に置かれるのは①の日祖・日孫に相当する存在であり、
②はもっと後の仕切り直し時の存在となる。(イザナギ・イザナミの尊は後者②のみとなる。)
そして、超古代の①に相当する方々については、契丹古伝上の名称とはまた別の御名前で
記紀に載せられているのではないかと考えるが、これについては機会を改めたい。(これに
関して、一般に、始祖的女神は、男神優位の時代になると、中性神あるいは男性神に変化していく傾向
が見られることをも考慮すべきだろう。)
ただ、①の存在については、載せられてはいても憚り多いものとしてその実態が
隠されてしまったとすれば、①の日祖の始祖神としての性格も②の天照大神の方に統合されていった
と考えられる。よって②の天照大神が①の始祖神としての性格を併せ持つことになったと考えることが
できるといえる。
別の言い方をすれば、国生み以降の神話は、ある意味仕切り直し当時の状況を模した描写であると共に、当時存在していた太古の神話概念(母子神や姉弟神)をも盛り込んだ二重性をもつものと捉えることができる。
つづく
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2021.11.11
(c)東族古伝研究会