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契丹古伝(東族古伝)本文 (全文)と解説(トップページ)

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契丹古伝関連文献(戦前版)
更新情報:2023.09.30 本ページ追加

※当ページは暫定版

戦前出版されたもの(浜名本以外)
このページでは戦前出版された書籍のうち、浜名氏関連のもの4点以外について取り扱った。
浜名氏サイドで出版された書籍については、契丹古伝関連文献を参照されたい。


◎田多井四郎治 『契丹古傳 譯並註釋 | やくならびにちゅうしゃく 』本人により1940年発行

田多井氏は弁護士で、超古代文献の研究で知られ、神代文字の研究でも有名だった人物である。

本書発行の2年前に浜名氏が故人となり浜名氏の著書が絶版になったことから、契丹古伝の内容を学者または憂国の士に普及させるため企画されたもの だという。各章ごとに本文と読み下しと簡潔な説明を付したもので50ページ強の小冊子である。
戦前に出された本であり、一貫した愛国的なスタンスは浜名氏のものと同様である。
東族の立てた国の一部は「日祖の直系」であるが「大部分は神祖即ち | | さの | おの | みこと 」の後裔であるという史観となっている。

田多井氏は漢文法の知識もそれなりにあった方のようで、浜名氏の行った読み下しをより良いものに 「改善」しようと奮闘されている雰囲気が見てとれるが、浜名氏のものに比べて格段に優れている 部分が多いというようなことではない。

現在入手困難な本となっているが、解釈の部分のみ鹿島氏の著書『北倭記』(新國民社 1986年)に若干[資料的な意味で]転載されている。 (ただし全部は網羅されていない。)
原本は極めて少数の私設図書館・資料館・市立図書館等で閲覧可能なようではある。
特色ある記述については必要に応じて本文解説においても採りあげることとしたい。

田多井氏の読み下しや注釈は浜名氏のものに準じつつも細やかな配慮が見られ、他の解釈者に比べても豊かな常識的教養を感じさせる所も多い。 ただ、妙な解釈も含まれていることは事実で、このページは専ら批判を目的とするものではないが どうしても目についてしまう点については少しだけここでも指摘をさせて頂きたいと思う。

例えば、日祖と日孫の関係について、日本神話で天照大神とスサノオ尊が親子神とはされていない こととの矛盾を解決するために、2章の解説中で田多井氏は次のような無理をしている。
日祖の名を「阿乃沄翅報」と「云戞霊明」の2つに分割して、前者はイザナギ尊、後者はイザナミ尊 とすることにより、「日祖の子がスサノオ尊」という関係を純粋な日本神話の範疇で説明づけようとしている。
そして両尊が禊をした場所である橘の小戸が2章の辰云珥素佐煩奈に相当するとされている。(田多井四郎治『契丹古傳譯並註釋』p.2参照。鹿島本不掲載)
これは浜名氏さえ採らない構成であり、あまりに不自然なものといえよう。
日本神話にできるだけ近づけたい気持ちはもちろん理解できるのだが。

なお、時々、『契丹古伝』と初めて命名したのは田多井四郎治であると いう紹介がなされることがあるが、全くの誤りである。 1926年に浜名氏が『~溯源』を発表した時点で「亦契丹古伝ともいふ」とその名称を挙げている(p.287) し、1933年にも『契丹古伝(本文)』が出版されている。
誤解が生じたのは鹿島曻が「昭和15{(1940)}年、田多井四郎治は『契丹古伝』と命名して(中略)として発表した」 と書いていること(『北倭記』p.55)が原因であるが、田多井氏が自著にそのようなタイトル(つまり 今紹介している当該書物のタイトルそのもの)をつけたというだけの話である。


◎高橋空山 『契丹神話 (全)』日本思想研究會 1941年
(国立国会図書館デジタルコレクション[国会図書館利用登録者(本登録)限定])高橋空山 『契丹神話 (全)』 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230091

田多井四郎治氏の本の翌年に出されたもので、70ページ程度のものであるが、田多井氏のものとは雰囲気が かなり異なる。もちろん戦前に出された本であり愛国的な内容ではある。

本書の前半は契丹古伝の本文(「契丹神話原文」)・読み下し(「契丹神話釋文」)・読み下し文中の語句についての短い注釈(ページ上部)から成る。
全章がそのような形で提示された後、別途「契丹神話解説」として全体の流れを追った解説が付されておりこれが本書の後半部分を占める。
本書は田多井氏の本にも見られないほど徹底して和風情緒・日本神話的な範疇で契丹古伝を 捉えようとしたものである。
本文の読み下しに添えた注釈が短い点は物足りないが、和語が多用された読み下し文はなかなか美しい、と いった長所がある。
しかしその反面、東族古語を無理やり日本語で解釈しようとしたためこじつけの危険が 格段に高いプレゼンテーションとなっている。本文中の軍歌・古詩なども美文調のオリジナルな 和語で再解釈されているが、合っている保証もなく、田多井氏のように「浜名氏も自分も意味を明らかに なしえなかった」(田多井四郎治『契丹古傳譯並註釋』p.1「解題」参照) と慎重な態度を採られた方が穏当であったと思われる。高橋氏解釈のそのような部分は試訳として捉えるべきだろう。

2章の解釈で、高橋氏は日祖を天照大御神とする。これは浜名氏と同じだ。
しかし同章における辰云珥素佐煩奈での日祖の沐浴については、 その主体は日祖ではなく、辰云珥という存在が素佐煩奈にて澡したと解釈し、辰云珥をいざなぎ尊(男神) と解している。これによりいざなぎ尊─スサノオ尊の親子関係が表現されていると読む処理で、 田多井氏の解釈とはまた異なった、妙な処理といえる。高橋説だとまず姉神の名が冒頭に掲げられたあとその父神 が男の御子神を生むという段取りとなり不自然な記載となるからである。

高橋空山氏は契丹古伝のことをなぜか契丹神話と呼んでいる。
契丹神話というと通常 契丹民族の神話という意味になり、それは別途(奇首可汗のストーリー[ほぼこれに相当する話は浜名・溯源p.686, 詳解p.400に載る]など)存在しているので、 大変まぎらわしい言い方といえよう(契丹古伝はあくまで王家の遠祖に関わるプライベートな 伝承という位置付けである)。ただ、高橋氏は神々の物語と呼んでおり、 契丹古伝の神子らを神々として扱う趣旨を含んでいると思われるので、心情的にはもちろん理解できる。

25章の寧羲騅 | にぎしをアメノオシホミミノミコト(天照大神の長子)と、
28章の | | | | | | =大国主命の孫、アジシキタカヒコネの神 とするなど独自の比定がなされているが、説得的理由は付されていない。誤りと考えるべきと思われる。

さらに、日本はタカミムスビ神の | | すぢ で日馬辰沄氏すなわち日女神、
大陸はカミムスビの神の | | すぢ で干霊辰沄氏でスサノオノ尊の御事であるとする。(高橋空山『契丹神話(全)』p.44)
さらに、大陸の神はカミムスビ神の | | がみ 系血統であるとし その列(ならび)として(中略)スヒヂニ尊・イクグヒ尊中略イザナミ尊・ツクヨミ尊・スサノヲ尊 などが列挙されている。この女神系統(?)が大陸の神というのは本書独特の説である。
また日馬辰沄氏その他についてもかなり変わった見解を前提としているため、読んでいて辛さを 感じてしまうほどである。

ただ氏の本にも所々共感できる部分もあるため、その点は今後必要に応じて本文解説においても紹介していきたい。






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2023.09.30新設