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契丹古伝の始祖神話と日本神話 その1
・まえがき
契丹古伝の解釈にあたっては神話学的分析が重要である、とは、以前にも述べたことがある。
ただ、古代東アジアの知られざる歴史さえ分かればよく、神話などどうでもよいという
方もおられるとは思う。
しかし、契丹古伝に登場する辰沄氏系諸王家は日祖・日孫の後継とされかつては共通の王権関係
用語を使っていたとされる。
日祖・日孫にしても、母子神などの一定の神話概念に立脚した存在であるから、その王権も
同様に神話概念に根ざしたものということになる。
その王権に対する民々の捉え方の背景にも、そのような神話概念が存在したはずである。
このようなものの復元・比較検討などを通して、歴史上のどの王権がそのような王権で、どう伝播
していったか、あるいは王権同士にどういう共通性があったのか、このようなことを検討
していくことで契丹古伝の記述に妥当性があるか検証できることにもなる。
とすれば、真剣に契丹古伝を検討する人にとって神話学は極めて有用なものということになる。
しかし上記のように、そのようなことに興味をもたない人が多いことは承知している。
田中勝也氏は『古代史原論 契丹古伝と太陽女神』という著書を出されたが、この著書への言及も世間
一般ではあまりなされていないのが現状であり、自分としてはかなり残念である。
以上のように、契丹古伝の背景をつかむことで、契丹古伝の解釈に間接的に貢献するのが神話学研究で
あるといえる。
したがって解釈さえわかればよく、まだるっこしい話は無用という方にはこの論考を読むことを
お勧めしない。
ただし、契丹古伝の重要論点あるいは知られざる重要論点を解き明かすのは結局神話学ということに
なるものと考えている。
そして、その「解き明かし」の完成品を見れば、なるほどそうかということになるとは思われる。
しかし、残念ながら何事もそう簡単に一度に提示できるかというと、そうもいかないという
事情もある。したがって筆者の議論の先を想像できる方でないと、興味深くは読めないということに
またしてもなりそうであるが、できるだけ分かりやすい記述は心がけてゆきたい。
契丹古伝研究者の中でも、特に田中勝也氏は太陽女神を強調されておられた。
しかし、上でも触れたように、田中勝也氏の太陽女神論は世間に浸透したとは言い難い。
氏も無念の思いがおありであったかもしれない。
自分の神話論は、田中勝也氏の神話論とはまた違ったアプローチを採るものであるが、
太陽女神論を重視する点など共通する点もある。
そしてこの神話論・太陽女神論の問題には、田中勝也氏が触れなかった重要論点も多く、
それらを網羅すればかなりの分量になりうる。
それゆえ、他の独立したサイト等において、契丹古伝と無関係な形で太陽女神論を発表する
ことも検討したが、①そこまでの分量を執筆する時間が取れそうもないこと②田中勝也氏が
契丹古伝との関係で太陽女神論について言及されたことに敬意を表することの必要性、を考慮し、
あえてそのような方法は採らないことにした。
それゆえ、あくまでもこの契丹古伝のサイト上で、
自分なりに契丹古伝と太陽女神の論を簡単ながらも展開し、後世の意見をまちたいと思う。
・契丹古伝の神話とは?
浜名寛祐氏は、契丹古伝を46の章に分け、20章までを神話編、21章以降を歴史編と呼んだ。
もちろん、20章までの章は より伝説性が高いものであることは確かである。
ただ、契丹古伝の編者は6章において、「引用した「旧史」を順序立てて並べたのが7章以下である」
という趣旨のことを述べているのだから、少なくとも7章以下は歴史として扱っていると解される。
それ以前の部分も、「引用」によらない形で重要な始祖伝承を述べていることから、厳密には神話と
歴史の区別はつけにくいといえる(これは日本の歴史も同様である)。
では本稿で考察する「神話」とは何なのかというと、
始祖神話の部分、つまり日祖・阿乃沄翅報云戞霊明が日孫である阿珉美・辰沄繾翅報・順瑳檀彌固
を産み、日孫が聖なる山に降臨するというストーリーの部分である(第2章・3章参照)。
この契丹古伝の始祖神話の部分は、日本神話とズレがあるため多くの人を悩ませていることも
事実である。
契丹古伝第7章の『耶馬駘記』の引用からもわかるように、契丹古伝は、日本を
(第4章の言い方でいえば)辰沄固朗(いわゆる東大神族)のグループに含むとしている。
また、本サイトでも指摘してきているように、契丹古伝に登場する神子号の固有名詞などに、
日本神話的な響きがみられることは確かである。
ところが、その割には、日本神話の初めの方の部分が契丹古伝の始祖神話に適合しないように
見える。
・日本神話と契丹古伝始祖神話の差
契丹古伝についてしばしば指摘されるのが、日祖・阿乃沄翅報云戞霊明が
太陽女神・天照大神と同一神であるという点である。
そして、日孫である順瑳檀彌固と名前が似ている日本の神といえば素戔嗚尊である。
ところが、契丹古伝では女神である日祖から生まれた子 が日孫スサナミコであるのに対し、
日本神話では女神である天照大神の弟 が素戔嗚尊である。
しかも、素戔嗚尊は乱暴狼藉を働く神としての性格があるから、その点も合わないように
見える。
その一方、日本神話には天照大神の皇孫である彦火瓊瓊杵尊
が高千穂に天孫降臨するという
ストーリーがある。これは日祖が日孫を降臨させるという契丹古伝の物語と似ている。が、
降臨するのが日本神話では彦火瓊瓊杵尊
であり、契丹古伝のスサナミコと似ていないという
難点があるのである。
・神話のズレをなんとか説明しようとした契丹古伝解釈者達
上記のように日本神話と契丹古伝始祖神話には微妙に似ていない点がある。そのため、
今までの解釈者もこれをなんとか理屈づけようとしてきた。
(1)浜名寛祐氏の場合
浜名氏によると、現在の日本神話は「大倭神話」と「出雲神話」の合体
であるという。(浜名・溯源p.97参照。)
前者の大倭神話は、もともと日神と月神の二神からなるものだったという。そして
後者の出雲神話は、「大陸神話」の分影であり、その「大陸神話」ではもともと
日神と素戔嗚尊との二大神が母子の関係にあったのだという。(溯源p.99参照。)
出雲族の奉ずる神もそのような神であったが、大倭神話との合体によって、
母神は大倭族の日神に一致させると共に、素戔嗚尊
は月神と別の兄弟神として
の地位を与えられたのだとされる。
以上のことからすると、浜名氏は、①契丹古伝始祖神話の日祖・日孫は大陸神話(≒出雲神話)
的なものであり、かつ、②それは日本神話の原形である大倭神話の日神・月神とは少し異なる、と捉える
ことにより神話のズレを説明づけているようである。
要するに、日神は両者に共通だが、スサナミコは大陸神話(とその分影たる出雲神話)
にしか存在しないということになる(共通なのは日神+αということ)。
ただ、浜名氏によれば、天照大神(大日孁尊)と日祖の名の類似等から、古代大陸神話と我が神話に
霊的連鎖のあったことはほとんど疑う余地がないとされている。
(浜名・溯源p.303, 詳解p.17参照。)
また、伝承が転訛して人の心に惑いを生じた結果、人々が自分の知識内で惑いを解決しようとしたため
にスサノオ尊のスサが清らかな意味を失い荒ぶの意味にされたのだという。(溯源p.309, 詳解p.23参照。)
この浜名氏の論の前提として、契丹古伝の神話部分はあくまで神話であり、歴史的真実と合致
するとは限らないという氏の考えがある。
端的にいえば、日神を戴くという共通の素地があるものの、地域により神話の細部は変化しうると
いう考えである。そして大倭神話には、もともとスサナミコは存在しなかったという考えである。
もちろん、共通の素地を持つ同族性を浜名氏は繰り返し指摘する。だが、その同族性は、
契丹古伝のいう神子神孫論とは別の何らかの歴史的経緯で形成されたということに、
浜名氏の理屈ではなるのである。
浜名説による限り、少なくとも、契丹古伝のスサナミコは、そのままの形では本来大倭神話に
存在しなかったことになるからである。
(なお自説では、スサナミコ相当存在が本来の日本神話に
むしろ存在したと考えている(後述)。)
浜名氏は、第5章は神話篇に属するとしつつ、実は5章の宗族論などを歴史部分の解釈に使用している。
このようなことからすれば神話部分はあくまで神話とする浜名氏の主張には少し煮え切らない部分が
ある。しかし、この主張により浜名氏は日本神話との矛盾の回避を図っているといえる。
(2)鹿島曻氏の場合
鹿島氏の場合、日祖・阿乃沄翅報云戞霊明の箇所に「神産巣日御祖命
」という説明
をつけている。神産巣日御祖命
は、出雲神話の大国主命の所などに登場する母神的存在で
ある(出雲国風土記では神魂命)。
現在の日本神話で見ると、スサノオ尊の母はイザナミ尊であるが、イザナミ尊は夫のイザナギ尊
と夫婦神を為しており、契丹古伝の日祖のイメージとやはり違いがある。
そこで、出雲神話に時々登場する母神的存在「神産巣日御祖命」
(注・古事記冒頭の「神産巣日の神」と別神ともされる)を、あえて系譜の整合性を犠牲にしても日祖のイメージに
重ねたのではないかと思われる。
確かに、雰囲気としてそれらしい感じは出ているといえるかもしれない。
鹿島氏にしては味のある説明ともいえるが、系譜上整合しないことについての説明が
欠如していることへの憾みは残る。
つづく
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2021.11.11
(c)東族古伝研究会