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契丹古伝(東族古伝)本文 (全文)と解説
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サカタキとサカアケは同一神ではなく、かつ檀君王倹とも別である 附・
宇越勢旻訶通について
(第30章補足)
契丹古伝第30章の察賀亶唫
と第16章の察賀阿餼を同神に解する必要はなく、「さかたきあけ」という合成名は浜名氏が勝手に製作した神子号である点に注意。
浜名氏の解釈のポイントは、16章の神祖西征の際に築城した3人の神子的存在を単なる地方神のようにも捉え得る
ことに着目して、そのうちの一人「察賀阿餼」を、「さかたきあけ」という合成名称の創作という手段を使って
30章の察賀亶唫という意味不明の何らかの神聖語と同一のものと捉えさせた上で、30章の
「(辰沄殷が)"察賀亶唫"を祭り」を、「(辰沄殷が)"さかたきあけ"という地方神を地主神として祭った」と解する点にある。
この背後にある意図は、さかたきあけの末尾4文字「たき・あけ」を「檀君・王倹」と同一語と捉えさせる工夫をした
上で、それは単なる地主神であり辰沄殷がたまたまそこを通過する際に地主神・檀君王倹をまつったということであるに過ぎないと考えることで、
檀君信仰との神と、契丹古伝の神祖やその神子の主流系統の神号との関係を希薄化する
というものではないかと考えられる。
浜名氏も指摘するように、11~15章『汗美須銍』にある固有名詞に、檀君信仰のそれと似たものが若干登場する
ことは否めない。
といっても、現在の形の檀君神話自体は新しいものであり契丹古伝的伝承の残滓が含まれるに過ぎないと考えられる。15章の解説で記したように、契丹古伝
11~15章『汗美須銍』に見える伝承の成立はもっと古いもので種々の族に拡散していったと考えた時に、
その片鱗が檀君神話のはるか前の古い形に入りこんだということについては可能性を認めてもよいだろう。
こう考えたときに、檀君神話に登場する神のパンテオンを契丹古伝の傍系神もしくは地方神とむりやりこじつけることは
さすがにフェアーな態度とはいいがたい。筆者も誤解をさけるためこの点の詳述を控えてきたが、
沈黙が必ずしも金でなく別の弊害を産む場合もあるので、あえて言及すると、檀君王倹が
降臨神「桓雄」の子で統治者とされることから推せば、檀君王倹に相当する神の原形は、契丹古伝15章の
「耆麟馭叡阿解」であると見たほうが妥当であろう。
『汗美須銍』に登場する神子の中でも耆麟馭叡阿解は「治せしむ」の語が
使用されている重要存在の一人であり、神話学的な考察から、自分は正しい解釈であると考えている。
したがって自説からは察賀亶唫は檀君王倹と同一神ではないということになる。
察賀亶唫は地主神ではなく殷の宗廟の神と自分は考えているが、この察賀亶唫は察賀阿餼でも
檀君王倹でもない。
たしかに30章の味諏君德の都の城名はワケ城であるが、むしろ神子たる支配者の城として適切な名称としてそのような
名前になっているにすぎず、それをタキワケ城と解するのは本末転倒であるといえる。(学説としても、箕子の
王倹城の名が檀君王倹から来たものでないことは通説である。)どうしてもというなら、耆麟馭叡阿解城と解するぐらいか。
一方察賀亶唫とは、より抽象的な始祖神のパンテオンとして祀られるような存在であり
いわば「聖所にいらっしゃる方」というような存在であろうと自分は見ている。
決して特殊な神「タキワケ」(=檀君王倹??)を祀ったものではないだろう。
契丹古伝上「タキワケ」は登場していないことに注意すべきである。
ちなみに、酒造の神としてしられる「酒解(さかとけ)の神」という
神が日本でまつられているが、酒解(さかとけ)は本来契丹古伝の察賀亶唫と関係する語で神聖な存在を示す言葉では
なかろうか。(もちろん単なる山の神でもないことになる。こういった事柄についても、筆者は基本"沈黙は金"を
貫いてきたので、あまり多くを語れないできたことは遺憾である。)
占欝單密の山に祀られた宇越勢旻訶通・宇越米旻訶通とは何を指すかということについて、浜名氏は宇越=「上」=天孫ととらえてニニギの尊(浜名説では寧羲騅にあたる)とその妃とするが、これでは寧羲騅にまつわる牽強付会の説としか
いえまい。
とはいっても確かに難解ではある。歴代王、歴代の后と解した理由の一端を少し書いておきたい。
セが男性を、メが女性を示すことは浜名氏でなくても考え付く特徴であるが、ここでは六音による契丹古伝独特の
神子号レベルの尊称が使われていることに注目する。このような六音の神子号的なものについての私の分析によれば、
これらの神聖呼称は、その神聖さゆえある程度の汎用性(東族部族間での)があり、日本の上古の神名・皇子名などに
類似呼称が見られる確率が高い(ただし しばしば より古雅に音数は六音より多い場合あり)と考えている。
それゆえ宇越勢旻訶通を「上・背・尊」とみる浜名氏のような説明は「上背尊」なる言い方が日本にない以上
どうしても疑問を呈せざるをえない面がある。しかも、男女神で語尾に「キ・ミ」のペアもしくは「ヒコ・ヒメ」のペア
がつくものが日本では圧倒的であることを考慮すると日本にはこの場合類似の語尾のペアをもつ呼称がない
ということになるがそれはそれでもよいのか、などの付随論点を検討していくことになる。
ここでは詳細を割愛せざるを得ないが、私としてはここでまつられているのはかなりの神聖度の高い呼称であり、
日本でも(語尾を含めた形で)それなりに残っていると推察し、ただし「セ」については類似子音をもつタ行音を含めて
考え、「メ」についても類似子音をもつバ行音などを含めて検討することにするという方針で捜すと、
国常立尊から数えて五代目の神「大戸之道尊・大戸之辺尊」が条件に合致する名称となる。
といってもなぜ「大戸之」が「ウエ」に該当するのか等、却って不審に思われるであろう。しかし今回も詳細を割愛せざ
るを得ないが、対応関係はありうると考えている。さらに「大戸之道尊・大戸之辺尊」がそもそも如何なる神か不分明で
あるという点も検討せねばならないから本来さらに検討が長くなるわけである。
それも省略すると、結局「ウエ」は決して「上」ではなく「聖座」的な意味をもつ神聖名詞であろうという一つの結論が
得られるわけであるが、この解は浜名氏の解釈等よりはまだまともであろうと考え、ためらいながらも一応記しておく
ことにする。不十分な説明ではあるが心ある人に推察頂ければ幸甚に存ずる。
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2020.12.15
2022.01.14微修正