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えっ?あの高名な学者の超有名著書に契丹古伝の一部が引用されていた!?


最近堅苦しい話が多いので、契丹古伝に関する面白い話題をたまには 書いてみようと思う。

上のようなタイトルをつけると、何だか「契丹古伝に関するデマ」の話のようにみえるが、 今回はデマではない。ウソのようだが本当の話である。

江上波夫氏といえば、騎馬民族渡来説で有名な東洋史の大家である。この学説は 発表当時大きな反響を呼び、当初多くの読者に好意的に迎えられたが、学者の強固な反対もあり、 現在では問題の多い学説とされている(注*1)。ただし西洋を含め国際的な評価は高い。

そんな氏の代表的著書が『騎馬民族国家』である。
その中に次の一節がある(中公新書版では174~175ページ)。
なお岡氏は、・・・日本古代の社会を父長権的社会と規定し、その特徴の一つとして ハラ・・──外婚同族組織──を挙げ、 「(中略)契丹の古文書 | ●●●●●●族を称して溥固部(ウカラ)となし、民を称して韃珂洛(タカラ)となす という断章など、朝鮮半島から満蒙にハラを社会構成の一組織としていた民族の存在を 語っているものと思う」と述べ、・・・・
(江上波夫『騎馬民族国家』中央公論社(中公新書)1991年 p.174-p.175)(傍点や太字強調は引用者による) [中公文庫版ではp.190の最後からp.191の5行目まで]
上の太字の部分は、一部誤字があるにしても契丹古伝第4章(東族共通用語論でも採りあげた章) の中の
族を称して並びに辰沄固朗 | しうからとなし、民を称して韃珂洛 | たからとなす
(族の名称をおしなべて辰沄固朗と呼び、民の名称を韃珂洛とした)
とほぼ同じなのである。こんな内容を載せる「契丹の古文書」なんて契丹古伝以外にない。
もしあったのなら契丹古伝を裏付ける有力文書としてとっくに話題になっていたはずだ。
(固朗の朗が江上氏の本では部になっているが、ラという振り仮名が付いている以上、部という のは明らかに誤植であろう。)


実はこの本のこの箇所は、それ以前に開かれた有名な座談会の内容をもとにしており、
そこでは岡正雄氏は次のように語っている。
契丹の古文書に 族を稱して沄固部(ウカラ)と爲し、民を稱して韃珂洛(タカラ)と爲す という斷章など、朝鮮半島から滿洲に Xala を社會構成の一組織としていた民族の存在を 語っているものと思う。 (岡正雄/八幡一郎/江上波夫(討論) 石田英一郎(司会) 「日本民族=文化の源流と日本國家の形成」  『民族學研究』13巻3号 1949年 p.222 https://doi.org/10.14890/minkennewseries.13.3_207
ここでは溥が沄と表記されていて誤字が1文字少ない形になっている。 (江上氏の本の場合、印刷時に校正者が「云」の部分を何かの略字と勘違いした可能性がある)

いずれにしても、契丹古伝以外からの引用ではありえないだろう。
この岡氏の発言を江上教授は自著に引用してしまったのである。
浜名氏の本は、戦前は日本が半島を領有していたこともあり、それなりに多くの読者をもっていた ことは事実であり、学術書でないとしても興味を持って読まれていたと考えられる。
座談会が、戦後まもない時期に行われたため、岡氏も軽い気持ちで引用されたのではないかと思われる。 (なお、当サイトの意見としては、満州エリアも朝鮮半島ももともと単一 民族で構成されていたわけではなく、その中での同質性と異質性、さらに時の経過による 異質性の増加等に十分留意する必要があると考える。)

そんなわけで、再引用の形ではあるが、おそらく江上教授の気付かないうちに 契丹古伝の一部が教授の著書に載ってしまうという珍事態(あるいは快挙?)が 生じたのだと思われる。

以上

 
*1騎馬の風習の到来の点が考古学上の研究と整合しないとして非難されている(佐原真氏による 批判(『騎馬民族は来なかった』日本放送協会出版 1993年)が特に有名)。
この点について、例えば鹿島氏は、扶余は「騎馬」民族ではないとして、渡来自体はありうるのでは ないかとの見解を示している。江上説を批判する学者も、「渡来」の点についての批判はなぜか 少なく、騎馬の点ばかり非難する傾向にある。なので、たしかに鹿島氏の主張もこの点については 全くのデタラメとはいえないかもしれない。

2022.1.2

(c)東族古伝研究会